第56回「世界広報の日」教皇メッセージ(要約)
心の耳で聴く
聖書のページからわたしたちは、聴くことは単に音声認識を意味するだけでなく、神と人間とを結ぶ対話による関係と本質的につながるものだということを学びます。律法の最初のおきての冒頭のことば「聞け、イスラエルよ」(申命記 6・4)は聖書でずっと繰り返され、聖パウロが「信仰は聞くことにより…始まる」(ローマ 10・17)と断言するまで続きます。確かに主導権は、わたしたちに語りかける神にあり、わたしたちは神に耳を傾けることで神にこたえます。しかしその聴くということも、そもそも神の恵みによるものであり、父母のまなざしや声に反応する乳飲み子と同じです。五感のうち神が重視するのは、まさに聴覚のようです。おそらく視覚よりも感度が問われ、注意が必要なので、人間の自由にゆだねられるからではないでしょうか。
聴くことは、謙遜な神の姿と相通じるところがあります。神は、語ることによって人間をご自分の似姿として造り、聴くことによって人間をご自分の対話の相手として認めます。神がそのようなご自分を明かされるのは、聴くという行為によって可能となるのです。神は人間を愛しておられます。だからこそ神はみことばを人間に語り、だからこそ人間の声を聴くために「耳を傾ける」のです。
一方人間は、聞かずに済むように、その関係から逃れよう、背を向けて「耳をふさいで」しまおうとしがちです。このように、一方には自由なコミュニケーションによってご自分を明かす神がおられ、他方には耳を澄ませ、聴くことを求められている人間がいるのです。主は、人間が余すところなくあるべき姿になれるようにと、人間を愛の契約にはっきりと招いておられます。それは、他者に耳を傾け、受け入れ、譲る力を備えた神の似姿、かたどりとなることです。聴くとは、本質的には愛の次元なのです。
教会でも、耳を傾けること、互いに耳を傾け合うことはとても大切です。それはわたしたちが互いに差し出しうる、もっとも尊く豊かな贈り物です。わたしたちキリスト者は、聴くという奉仕のわざが、最高の聴き手であられる神から任されたものであり、そのかたのわざに加わるよう求められていることを忘れてしまっています。「われわれが神の言葉を語ることができるためには、われわれは神の耳をもって聞かなければならないのである」4。プロテスタント神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーはこう語り、交わりにおいて、他者にささげるべき第一の奉仕のわざは、その声に耳を傾けることだと思い出させてくれます。兄弟に耳を傾けることのできない人は、いずれ、神に耳を傾けることもできなくなるでしょう。 司牧活動でもっとも重要な仕事は、「耳での使徒職」です。使徒ヤコブが、「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く」(ヤコブ 1・19)ありなさいと諭したように、話すよりも聞くことです。人々に耳を傾けるために自分の時間の一部を無償で差し出すことは、最初の愛の行為です。
5月の祝日・行事・予定
1日(日) 復活節第3主日
8日(日) 復活節第4主日 世界召命祈願の日
13日(金) ファティマの聖母:1917年、ポルトガルのファティマで3人の子どもたちに
マリアが出現した。
15日(日) 復活節第5主日 信徒総会
22日(日) 復活節第6主日 世界広報の日 (献金)
29日(日) 主の昇天
31日(火) 聖母の訪問:イエスを宿したマリアが聖霊に導かれてエリザベトを訪問したこと
お知らせ
*15日(日)のミサ後 信徒総会を開催します。
2021年度会計報告、活動報告、役員改選、検討課題
* 安らかに!
西村淳一さんのお母様、マリア西村ナツ子様が4月21日、100歳で帰天されました。お葬儀は朱神父様の司式でした。
子供さんやお孫さんたち、近隣の方々に愛された心優しいナツ子様。
2年前に受洗なさった時のヴェールを被られた笑顔のお写真が印象的でした。
一同、ナツ子様の永遠の安息と、ご家族の上に神様の豊かな慈しみを心よりお祈りいたします。
小宮さんの俳句 しろがねの水平線や鯉のぼり
宮日評 : 配合の潔さが感じられる。男の子祝う気分がしっかり表現されている。
爽やかな緑の庭で、思わず探したくなる四つ葉のクローバー☘
神父様がおっしゃいました…・四つ葉はなかなか見つかりませんね。
三つ葉の方にたくさん、幸せはどこにでも、日常のどこにでもあるものですよ。
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